【あらすじ・感想】映画トゥルーマン・ショー|喜劇か?悲劇か?

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こんにちは。


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こないだ見たのはトゥルーマン・ショーという名作映画です。これも比較的有名な作品で、メタファーがよく効いている見応え十分な映画です。

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あらすじ

小さくて平和な町に暮らしているトゥルーマンという30歳くらいの男性が主人公です。

トゥルーマンは非常に陽気な男で、演じるJim Carreyさんという俳優さんは、こちらの記事で紹介した映画【イエスマン】の主人公カールも演じています。
なんだかキャラが被っていますよ!


平和な町で日々を送る陽気な彼には「ファン」も多く、同僚、近所の人、妻と軽快なあいさつを交わしながら楽しく暮らしています。

が、そんなある日彼は気づいてしまいます。近所でジョギングをしている男性はずっと同じところをぐるぐると回り、車のラジオはトゥルーマンがいつでも行くところに合わせて放送内容を変えていて、またあるビルに飛び込むとエレベーターのドアの向こう側が明らかに不自然な状態になっており。


つまり、日常だと思い込んでいた全てはトゥルーマンのために用意されたセット・キャストだったのでした。

そして彼の様々な思い出も全てハリウッドの番組「トゥルーマン・ショー」の監督によって仕立て上げられたものでした。(↑でファンという言葉にカギカッコをつけたのは、実はトゥルーマンは知らず知らずのうちにテレビ番組の主役になっていたことを念頭に置いています)

大学生の時のロマンスも、彼が海を恐れるようになった幼児期の出来事も。
それぞれの出来事に不自然な点があるのにも関わらず、彼はアラサーになってようやく「仕組み」に気づき、人生最大の挑戦を始めます。

一番印象に残ってしまったシーンは、一番最後のシーンです。物語がひと段落し、皆がトゥルーマンの活躍に感極まっていたエンディングでしたが、最後に登場した熱烈なトゥルーマンファンのおじさんは一瞬でチャンネルを回してしまいました。
熱烈な支持者かと思いきや、意外とみんな他人の人生には興味がないものだと言われているような気がしてなりませんでした。

考察①


状況設定はだいぶ異なりますが、自分がリアルだと信じていたものが実はなんらかの形で他者によって仕立て上げられていた、ということはよくSFの世界で起こりますし、パッと思いつく映画作品だと映画【マトリックス】がそうです。

マトリックスは仮想現実を見せられているという設定ですからシリアスさは結構異なりますが、見ている現実が実は現実ではないという指摘では共通していると思います。

小学生低学年の時に、こんな作品が国語の教科書に掲載されていたのを覚えています。(タイトルや作者は忘れちゃいましたが)うろ覚えの内容ですが、だいたいこんな内容だったかと記憶しています。

人間の色彩感覚は人によってかなり個人差がある。あなたが「赤い」と感じているトマトと、私にとっての「トマト」の色は実は全く違った色かもしれない。
同じ名称で呼ぶ色でも、感覚が異なる以上、他人と完全に同じ世界を見たり共有したりすることはできない。それはなんとなく寂しいことだ。

この「寂しい」という言葉をはっきりと覚えています。全く同じ世界を見る個人同士は存在しないし、それの事実は寂しいことなんだと。

デザインの世界の話ですが、関連するテーマでこんな話を聞いたことがあります。
欧米人のデザイナーがすごくナイスな色彩センスでプロダクトを製作します。そしてそれを日本などアジア諸国に輸出する際に、アジア人のデザイナーの色彩センスに一旦プロダクトを委ね、色味に微妙に変更を加えて正式に出荷します。

なぜでしょう?

欧米人とアジア人で、見ている色が顕著に異なるからなんだそうです。
こんな話からも簡単に考察できるように、今は主に「色」にフォーカスして考えていましたが、いろんな要素で個人個人に見えている世界が異なるということが考察できますね。

考察②


「意見①」はやっぱり本筋とは離れているので本筋に即した書き方をすこしします。
最近流行りのバンドKing Gnuも言っています。

溢れ出した涙のように ひと時の煌めく命ならば

出逢いと別れを繰り返す日々の中で 一体全体何を信じればいい

King Gnu 【Prayer X】

実際、信じられるはずの様々なデータが誰かによって改竄されていたことや、世論を誘導しようとするかのような情報に満ち溢れた社会の中で、信じるべき対象を自分の頭を使って選び抜いていかないと誰かの思う壺の人生を歩むことになるのが現代だと思います。

「誰かの思う壺」って、なんで壺なんですかね?

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